12896
2020/04/05 02:08:03
匿名
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したら、それこそ世界の笑いものになるだろう。武力併合しておいて、その併合した地域を「我が国固有の領土」と主張すると、例えば、どこかの国が日本を併合したら、その瞬間から、その国は「日本は我が国固有の領土」とも言えることになり、日本政府はその国の主張に反論できなくなる。
だから日本政府は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。,
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12907
2020/04/05 02:41:34
匿名
琉球、沖縄の地は日本に提供されました。事実!接収なのかはともかく日本のものになりました。事実。
現に日本の法律のもとに管理されてます。事実。
これは世界が認めてる事実です。
つまり、琉球は弱かったから滅亡しました。
世界的に琉球の財産はありません。
世界的の常識です。
沖縄とは日本です。
世界の常識です。
琉球は滅亡しました。
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12908
2020/04/05 02:43:32
匿名
過去に存在したとか言うのは自由。世界にたくさんそういうの存在する。
だけど、現社会ではただの過去の話。
現代国家で対応するのが当然。
だから琉球とかは過去の遺物でしかない。
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12909
2020/04/05 02:47:44
匿名
沖縄は日本固有でなくとも日本だよ。沖縄の所在が日本伊がいにないよ。
国連の認識だよ。
沖縄はまぎれもなく日本です。
国連は琉球を認識してないので沖縄は日本でしかありません。
琉球は現代社会の認識では妄想でしかありません。
現実的な見解です。
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12911
2020/04/05 09:55:40
匿名
12909沖縄が日本固有の領土でないなら日本政府が主張している「尖閣諸島は日本固有の領土」というのは嘘だということになるな。
なぜなら日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」と説明しているから。
残念でした。
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12912
2020/04/05 09:57:46
匿名
12904沖縄の日本復帰が最大の争点となった1968年11月10日の第1回行政主席通常選挙(沖縄初の主席選挙)は「沖縄の日本復帰」を主張した屋良朝苗氏と「沖縄の日本復帰を時期尚早」と主張した西銘順治氏による事実上の一騎打ちとなった。
対立候補の西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら昔のように芋と裸足の生活になる」「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏を痛烈に批判していた。
その当時、沖縄の有権者のほとんどが日本復帰を望んでいたなら沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏がダブルスコアどころかトリプルスコアで大勝していたはずである。
ところが選挙の結果を見ると屋良氏が獲得した票数は23万7000票余りで、当時の沖縄の有権者数の46%にすぎず半数にも満たなかった。
一方、「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して屋良氏を痛烈に批判した西銘氏は20万6000票余りを獲得した。
屋良氏と西銘氏の得票率を見ると54対46で、この結果が証明しているように、当時の沖縄は日本復帰に反対する人たちが相当数いたことが分かる。
だから本土の右派系論者たちが言っている「沖縄の人たちはみんな日本復帰を望んでいた」というのは事実と異なるし真っ赤な嘘だと言える。
「沖縄の日本復帰」を主張した屋良氏は共産党と社会党を中心とする革新勢力が応援していたが、その屋良氏を痛烈に批判して「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘氏を全力で応援したのは日本政府と自民党本部だったという事実は実に皮肉なものである。
この歴史的事実は今の日本政府や自民党あるいは右派系論者にとっては触れられたくない不都合な真実である。
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12915
2020/04/05 10:10:40
匿名
俺、教師をしているが、子どもたちには「沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域だから日本固有の領土ではない」と教えている。子どもたちもよく理解しているし、この子どもたちが大人になったとき、またその子どもたちに「沖縄は日本固有の領土ではない」と教えてくれるだろう。
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12919
2020/04/05 10:28:07
匿名
日本政府は外務省のホームページで「尖閣諸島は沖縄県に属する」と説明しているが、そもそも沖縄は1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して併合するまでは琉球王国が統治していた地域だから日本固有の領土とは言えないし、尖閣諸島がその沖縄に属するのであれば尖閣諸島も日本固有の領土ではないということになる。皮肉なことに日本政府は外務省のホームページで尖閣諸島が日本固有の領土でないことを自ら証明してしまっている。 ,
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12920
2020/04/05 10:28:46
匿名
1960年代後半の沖縄では基地抜き、核抜き、本土並みを合言葉にしていて米軍基地の全面撤去を訴えていたのであって基地負担に納得していたわけではない。その証拠に当時、琉球政府の総合主席を務めていた屋良朝苗氏は米軍基地の全面撤去が伴わないままの本土復帰に不満を持っていた。
そのため、屋良主席は沖縄住民を代表して日本政府に抗議の意思を示す意味で1969年6月17日に東京で行われた沖縄返還協定の調印式を欠席している。
屋良主席が沖縄返還協定の調印式を欠席したのは沖縄住民が望んでいた形の復帰ではなかったからである。
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