匿名
日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張するが、実は19世紀後半の日清交渉で、当時の日本政府は清國(現在の中国)から得られる商業権益の引き換えとして「先島分割案(琉球分島案)」を清國に提案し、沖縄の先島諸島(宮古諸島、八重山諸島)を清國に譲り渡すことを1880年4月17日に閣議決定している。日本政府は1879年に先島諸島を含む琉球諸島を併合したにもかかわらず、その翌年には国益の引き換えとして自国の領土と決めた琉球諸島の一部である先島諸島を他国に割譲することを日本政府自らが決定したという驚くべき歴史的事実がある。
当時の日本政府が日清交渉で先島諸島(宮古諸島、八重山諸島)を清國に譲り渡すことを閣議決定した歴史的事実は、現在の日本政府(管内閣)や右派系論客にとって触れられたくない不都合な真実であり、 事実、この歴史的事実を指摘されたら、菅内閣の閣僚は絶対に反論できない。 、
奄美人殺害し放題や琉球人頭税、奴隷法から解放してあげたのが真相、琉球の土地や海に価値は無かった。
ロシア艦隊やベリーら、様々な外国の船舶に発見された
南大東島、北大東島、沖大東島
尖閣諸島、
大航海時代の世界の常識『山分け』
したが日本が尖閣領土発見、山分け
声かけても、世界の列強は尖閣や
沖縄諸島に無関心だった。
価値の無い二束三文の小さな島と判断
され、手を挙げる国は無かった。
仕方ないので沖縄諸島は世界からの
待ったやクレーム一切なしで日本に編入
された。琉球を欲しがる国は一つも
無かった。
離島や山原、本島の悪政、奄美群島
住民殺害もやめさせた。
世界一の悪法、人頭税など琉球法も
廃止した。
日本政府によって琉球は解放され、琉球人が稼いだ金額は財産権として保障された。
日本政府は悪法、悪政の琉球王を名乗る尚一族を当時の12万石と判断し、
東京都千代田区に移転させた。
公族の地位を与えた。
匿名
琉球国は独立国だったと書くと、歴史を知らない人が「それなら薩摩の国も播磨の国も出雲の国も独立国だったということになる」と言ってくることがあるが、そもそも薩摩の国とか播磨の国とか出雲の国というのは飛鳥時代から奈良時代の律令制のもとでできた国であって琉球国はその律令制のもとでできた国ではないから同じ国とはいっても意味合いが全然違う。琉球国というのはあくまでも明や清との関係において独立国と認められていて、また、琉球国は1850年代にアメリカ、フランス、オランダとも国際条約(修好条約)を締結したことがあり、欧米諸国からも独自の主権を持つ独立国と認められていた。
薩摩の国や播磨の国あるいは出雲の国などは琉球国のように欧米諸国と国際条約を結んだこともなく、他国から独立国と認められていたという歴史的事実もない。
幕府は外国支配する薩摩に一目置いていた
違いますよ。琉球の国際条約はあくまでも日本の
後ろ盾、傀儡政治があることを列強が
日本の植民地活動を無いフリの世界宣伝
のサポートしてただけである。
外交上どの国も日本傀儡の薩摩間接支配
が最優先されていたわけで、
琉球は、数百年間薩摩の役人が租税の徴収
、琉球の貿易売上げ利益収奪していた。
琉球の国家利益は薩摩の利益として
幕府に高額が献上されていた。
これらは薩摩や幕府の権威を国内外に伝える
ための琉球イコール外国支配だった。
国際社会に対しても第一尚氏王を薩摩、
長崎の琉球館に呼んだり、参勤交代で
上京強制した際にはより外国人風の
衣装、髪型を強制させられていた。
薩摩の肝煎りで琉球は外交条約を
結ばされ、より琉球イコール外国に
なっていった。
平家や源氏の子孫によって琉球戦国時代
薩摩の支援によって
三山戦争を勝ち抜いた首里勢力は薩摩
と共同運営して琉球を薩摩、幕府の支配の
傀儡であることを世界に認識させて
琉球の貿易利益を薩摩は巻き上げていた。
幕府は外国を支配する薩摩の偉大さを
認めていた。
匿名
1943年にエジプトのカイロで行われたカイロ会談でアメリカのルーズベルト大統領は蒋介石に対して「琉球を返す」と約束しているが、第二次世界大戦の敗戦国である日本が受諾したポツダム宣言第8条には「カイロ宣言の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に極限されなければならない」と書かれている。日本は「カイロ宣言の条項は履行されるべき」と書かれているポツダム宣言を受け入れているし、そのポツダム宣言第8条には「日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に極限されなければならない」と書かれていて「日本の主権は沖縄にも及ぶ」とは書かれていない。
戦後、アメリカが日本に返したのは施政権であって、ポツダム宣言を見てもわかるようにアメリカをはじめとする連合国は沖縄に対する日本の領有権を認めていなかった。
この事実が証明しているように沖縄にはいまだに日本の主権が及んでいないことが分かる。 ,
匿名
1968年年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で日本復帰を主張した屋良朝苗氏が獲得した票数は23万7643票。一方、当時の沖縄の全有権者数は51万5246人。
この数字を見れば分かる通り、日本復帰を望んでいた沖縄人は全体の46%しかいなかったことがわかる。
右派系論者たちがよく「沖縄の人たちは日本復帰を望んでいた」と言うが、調べてみたら日本復帰を望んでいた沖縄の人は実は全体の半分もいなかった。
匿名
2013年4月の国会答弁で当時の安倍晋三首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語ったが、安倍首相の答弁が正しいなら、そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に主権を回復できなかった沖縄は日本ではないということになるし、その沖縄に属する尖閣諸島も日本の領土ではないということになる。スポーツ内 新着トピ
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